立川談志独演会@王子 北とぴあ

k_turner2005-01-22



 1300人ほど入るホールの2階はあえて使わず、1階席にだけ客を入れて行われた。入場者は800人ぐらいか?もちろん全席完売、当日券無しである。15列目ぐらいのやや遠い席から見た家元は少しやつれた様子で、本人も自覚していた通りあまり声が出ていない。心配だ。にも関わらず相変わらずマイクは申し訳程度にしか使っていないので、これだけのホールでありながら生声に近い音量。従って私の席からは何を喋っているのかよく聞こえない。季節柄、あちこちで咳き込む人がいて、その音の方が大きいのだ。しかし、これは一種の演出でもある。客が集中して聞くようになる効果を見込んでのことだろう。もうひとつは家元自身よく言っているように、現代人はマイクを通した声に慣れすぎて生声を聞き取る能力が衰えていることへのアンチテーゼである。実際当初は小さく感じられていた声が、噺の途中から全く気にならなくなるのが不思議。また進行するに従って家元の調子が上がってくるせいもあると思うが。
 演目は、吉原に入り浸って帰ってこない放蕩息子を見かねた田舎出の使用人が連れ戻しに行く「木乃伊取り」と、中入り後の2席目が、死神に習った方法で臨終の床にある病人を生き返らせ大儲けした男が、欲に目がくらみ死神のいいつけを守らなかったために命を落とすことになる「死神」。
 「死神」は他の噺家でも聞いたことがあるが、いずれも比較的珍しい噺。この日は家元曰く「大したニュースが無い」ため枕にあまり時間を割かず、いつもの際どいジョークをいくつか畳み掛けてからすぐに噺へ。「木乃伊取り」はトータルで1時間強。「死神」も50分近くあった。声の調子が良くないとはいえ、店の主、その老妻、田舎出の使用人、若旦那、番頭、大工の棟梁、太鼓持ち、花魁、などなど数多くの登場人物を一人で演じ分ける芸の見事なことよ。口ぶりと身ぶりだけでこれら登場人物を表現し、時代は違っても人間の醜さ、弱さ、といった部分は根本的に変わらないことを笑わせながら知らしめる。落語という芸能が始まった時にはそこまで意図したものだったのではないだろうが、数百年の時を経ても残った実績は偶然であるはずがなく、普遍的なエンターテイメントであったが故である。また先人達が作った噺にアレンジを加えながら継承していった演者の功績が不可欠だったのは無論のこと。昭和から平成の落語を支えたこの名人もその歴史に刻まれるべき人物に違いない。家元の芸に触れられる機会が後何回あるのか分からないが、高座を聞く時は歴史的瞬間に立ち会っていることになるのだろう。