絶賛来日中 福岡はどげんしとうとねスペシャル

k_turner2004-12-12



 12月29日発売予定の次号beatleg誌に載せる原稿を何とか脱稿。「エルヴィス・コステロ・ジャパン・ツアー2004 前編」と題して、東京公演2回分のレポートを中心に、私は見れなかった大阪公演にも少し触れ、昨日の高円寺円盤でのイベントのレポートまで収録しています。4ページ貰っていたのだけれど、あれ4ページで収まるかなあ。beatlegっていつも字数の指定が無いので「このくらいだろう」と思って書くのだけれど、さすがに今回はオーバーしているような気がしないでもない。


 Zepp福岡でのエルヴィスはどうだったんだろう。何でも椅子が出たらしいので、動員はかなり少なかったと思われる。日曜でその程度の入りでは寂しいな。洋楽ロックが全体的にあまり景気のいい話を聞かないので、エルヴィス単独の問題ではないのかもしれないが、この分野が集客できないということは、私の原稿仕事は益々減ることを意味する。これで生計を立てているのではないから、減ったところで痛手ではないけどね。しかし音楽に関して文章を書くことを趣味の範囲でなく携わったことのある身としては、自分が書くことはもちろんのこと、他の人が書いたものを読む機会も少なくなるのは痛恨の極みである。
 今回のエルヴィスの日本ツアーで販売されているプログラムが手元に届いたので、今日読んでいたところ、五十嵐正さんが書いた「カントリー・ソウルとダン・ペン」の記事に深い感銘を受けた。思わず3回ほど読み返したぞ。エルヴィスの『The Delivery Man』を解き明かす上で、「カントリー・ソウルとダン・ペン」は最も重要なキーワードであることを説明しつつ、米南部の音楽とエルヴィスの関わりから『The Delivery Man』の本質を言い当てている。これを読むと『The Delivery Man』をもう一度聴きたくなるし、より深く理解できるように思える。これだけの文章を書くには並大抵の知識では太刀打ちできないだろう。実際引用されている発言は、ほとんどが翻訳されていない海外記事からのものだ。日本の雑誌に載っているものだけ読んでいて、これだけの内容が書けるわけはないのだ。
 「ミュージシャンは何も無いところから音楽を作るが、評論家はそれを聴いて好きなことを書いているだけだ」などと言うクルクルパーは相変わらず存在するが、そういう人は恐らくちゃんとした批評を読んだことがないのだろうし、音楽の背景にあるものを知らないのだろう。またちゃんとした批評というものが一般の目に触れる場所にはあまり存在しないのも事実ではある。
 今回のツアー・プログラムは私も制作に関わっているので、臆面もなく言うのははばかられるのだが、五十嵐さんの記事を読むためだけでも充分価値があると思う。