「僕が何故 UAと組むのかというと」
現在UAのツアーでサックスを吹いている菊地成孔の日記より。今般自身のユニット、クインテット・ライブ・ダブでUAをゲストヴォーカルに招いたライヴも行うことになっており(観たい…)、それに付随した告知&決意表明みたいなもの。

 僕と外山明(僕と外山は、今堀恒夫という天才、倉地久美男という天才、を挟み撃ちするキャリアが共に10年間以上有り、要するに天才を挟み撃ちする左右のウイングを形成しやすい身体性があるのでしょう)は、リハーサルの1曲目から、もう興奮しきって言葉を失っていました。言葉を失う。というのは忌事に際してよく使われますが、勿論、逆の意味です。僕等は控え室でハアハア言いながら「すげえよ。格好いい」「格好いいよ。すげえよ」「すげえよ。格好いい」「格好いい。すげえ」と、単に二つの単語を入れ替えるだけの会話を数回しただけで、瞳孔は開きっぱなしでした。
(中略)
 しかし、喰い殺してしまえ。という、強いエクスタシーを伴った衝動が、 UAと一緒にいると高揚してくるのです。これは、 UAにとってジャズというものが死体ではないこと、ジャズだけではなく、彼女にとって全存在が「生きている物」だということ(はっきりと断言しますが、彼女はアニミストです。僕のようなフェティシストのインテリゲンチャとは180度生き方が違う)、僕が「喰い殺す者」というのを女性の仕事だと信じて疑っていないということ。等が理由ではないかと思われます。そして勿論、女性性は僕の中にも微細にしかし確実に宿っており、僕自身が UAに転移することで「喰い殺す者」に成れる喜び。ということ。そして、更に言えば、 UA自身が「喰い殺す」様にして歌を歌うことを止めようとしているのではないか?と、この長いサーキットの間に強く感じたからです。

全く、嫉妬したくなるようなとんでもないことをさらっと書いてしまう人である。人の真似などしても仕方がないことは分かっているし、するつもりもないのだが、どうしたらこういう文章が書けるのか、その理由だけは知りたいものだ。
モリッシー、フジロックをキャンセル
工エエェェ(´д`)ェェエエ工工 ←こういうことを書いてるから駄目なんだ(笑)。しかし何だ、今さらトリクラスの人を呼ぶこともできるとは思えないし、実質最終日のトリはホワイト・ストライプスに落ち着くのだろうか。「突然アーティストとマネージメント間においてフジロックフェスティバル出演に関する見解の相違が生じ」っていうのは想像するに、モリッシーが「ハンバーガーなんか焼いてる側で「Meat Is Murder」を歌うことはできないから、会場では販売するな」とか言い出したからではないかと。実際イギリスのあるフェスでは売らせなかったらしいし。折角モチ豚でも食いながらモリッシーを観てやろうと思ってたのに。
ニューヨーク・ドールズのベーシスト、アーサー・ケイン急逝
リンク先では「肺炎による合併症」ということになっているけど、ここでは「白血病」と書かれている。実はジョニー・サンダースも(オーヴァードーズ説もあるけど)白血病で亡くなっているんだよね。呪われているというか、何というか…。やりきれない話である。
9月に予定されていたニューアルバムと今後のツアーの予定は現在未定。来日公演もスケジュール通り行われるか微妙になってきた。SMASHは踏んだり蹴ったりだな。
ライヴエイドのDVD化が実現
あれから19年も経つのかー。あの時生まれた子供はもう高校を卒業していることになる。あの時高校生だった私は立派におっさんになったし。
今思えば実にグダグダなイベントであった。ウッドストックのように音楽的、思想的意味で評価できるようなことは皆無に等しく、単に大勢のアーティストが集まって開かれ、世界中に同時中継されたという以外に意義の見出せない代物である。中継番組で流されたことを切っ掛けにカーズの「ドライヴ」が大ヒットしたり、イベント出演後突然ポップ畑での人気が上昇したパティ・ラベルのような人がいたりと、商業的におこぼれが回ってきた例は記憶に残っているものの、肝心のチャリティーとしてどれだけの成果があったかはまるで知られていない。実際にいくらぐらいの金が集まり、エチオピアなどアフリカの飢えた人々に援助がもたらされたのかどうか、我々はほとんど情報を持っていない。
詳細は未定なれど、DVD4枚組ということは大半のアクトは収録されるのではないだろうか。あのイベントで唯一批評的な行為として記憶される、赤いストラト1本でエルヴィス・コステロが歌った「愛こそはすべて」はぜひ収録して欲しい。