立川談志@町田市民ホール



今年家元の高座を見るのは早くも3回目である。こうして足しげく通う最大の理由は、家元の高座はたとえ同じ噺であっても内容が毎回異なる生モノだからである。加えて話芸全般に言えることだが、その面白さはビデオやCDでは数分の一しか伝わらない。特に家元の場合は自ら「俺の口が悪いのは一種の障害なんだから、大事にしてくれなきゃ」と言うだけあってテレビなどでは絶対流せない歯に衣着せぬ発言がポンポン飛び出すから痛快である。そのスリルと興奮を一度知ってしまうと、行ける範囲で開かれるからには何とか都合をつけて見に行きたいと思うのだ。そういう意味では音楽のライヴと全く同じ。
ただしこの日は違う意味でのスリルと興奮も待ち構えていた。開場時間が過ぎて建物内に入れたまではいいが、「ロビー開場」だとかで、ホールのドアは閉ざされたままでロビーにしか入れない。開演の15分ほど前になってやっと座席が開放されたものの、開演時間になっても出囃子も流れず、一向に始まる様子がない。ロックのライヴならともかく、落語ではこのようなことは滅多にない。途中「いましばらくお待ちください」と場内アナウンスが流れたりして、観客もただごとではないことに気づき、ざわつき始める。もしかして家元はまだ家で寝ているのでは…などと思っていたらようやくステージに家元が現れた。この時既に開演から20分以上経過。
全くの普段着のまま左袖からのそのそと現れた家元は、悪びれる様子も無く「一度帰ったんですよ。状況を説明するとね、一言で言えば待遇が悪かったということです」おいおい、すっぽかす気だったのかよ(笑)。具体的には何があったか分からないが、主催者だか誰かの扱いに立腹して、一度駅まで戻って淵野辺あたりまで行っていたらしい。それでまた戻ってきたということは、思い直すだけの何かがあったのだろう。そのあたりの詳細は不明。そのままいつものように家元の胸中に移り行く何事かとジョークを交えながらの漫談。これで家元は客の程度を見ると同時に、演目を選んでいるのだ。15分ほどしゃべったあたりで「今日は2席目に『居残り佐平次』をやりますよ」とぽつり。家元の十八番ではあるものの、高いテンションを要求される噺であるせいか、2年前の「50周年記念ツアー」で何度かかけられて以来しばらく披露されていないはずの演目である。高まる期待。
「今着物に着替えてきますから、こんなのはわけないんだ。すぐやりますから」と言って一旦引っ込み、本当に5分と経たない内に再登場。1席目は『二人旅』。江戸を出て旅をしている二人の男。ひとりは常識人だが、もうひとりは間が抜けているという落語では定番のコンビ。歩きながらのなぞかけやどどいつの応酬の妙、やがてたどり着いた飯屋の婆とのやりとりの妙。会話ごとにいちいち落ちがつく間断ないギャグ、スラップスティックな滑稽さだけで構成された噺だ。
中入り後、予告通り2席目が『居残り佐平次』。どこまでも調子のいい男佐平次が、金も持たずに芸者を上げてドンちゃん騒ぎ、いざ支払いの段になると当然手持ちが無いために遊郭に幽閉の身となる。ところが持ち前の調子のよさから芸者衆や旦那衆から人気を博すようになり、とうとう未払いの金を踏み倒したばかりか遊郭の主人から手切れ金までせしめて出て行くという噺。ストーリーとしてはそれだけだが、佐平次の話術、人の心理に付け込んで取り入る様、ただパーパーしゃべっているだけで逆境を順境に変えてしまう才能とその面白さが全ての噺である。ただし佐平次のテンションを維持するのは並大抵ではなく、この噺はスムーズにしゃべっても1時間程度はかかってしまう。
いずれの噺も教訓めいたり、哲学的だったりする要素は皆無と言っていい。ただしゃべり倒しているだけなのだ。家元自身「こういう場所では最初に軽くて面白い噺、その次にほろっとくるような噺をするのが定石なんだ。それは私もずい分とやってきたスタイルではあるのだが、それにはもう飽きた」と言っていたぐらいで、ありきたりの独演会とは違う何かをやりたい、やらねばならないという心境だったのだろう。その欲求に従うべく選んだのが上記2席であり、特に『居残り佐平次』は伝家の宝刀とも言うべき1席だっただけに、終わってから「ここで『佐平次』ができたこと、させてもらった町田のお客さんに感謝します。今日は『佐平次』ができたという喜びを噛みしめて、これから酒を飲みます」とまで言った。これだけの大名人にとっても『佐平次』は難関の1席であり、どこでもできるという訳ではないのだ。私は一昨年の秋、横浜で家元の『佐平次』を聞いているが、細かい部分での言い回し、展開は多少違っているし、それらがその場のノリによって導かれた結果であることもよくわかった。貴重な噺だからというだけでなく、落語が今も確かに息をしている芸であることを思い知らされた体験だった。