Sam Cooke特集誌を読んでみた



 ソウル・ミュージックの開祖と言ってもいい、偉大過ぎて困ってしまうほどの巨人、サム・クックが21世紀の日本で俄かに衆目を集めている。サムと言えば、これほどの人でありながら何故かそのオリジナル・アルバムのCD化が遅々として進んでいなかったのだが、いよいよ来月、RCA時代のアルバムの大半が日本盤CDとして発売される。それに合わせてサムの特集をフィーチャーした雑誌が2誌、相次いで発売されたので早速購読。


 こちらは現在休刊中のシンコーミュージックのTHE DIGのエクストラ・イシューとして発売されたムック。『グルーヴィ・ソウル・ミュージック』と題され、表紙及び巻頭特集がサム・クックになっている。サム以外にはボビー・ウーマックオーティス・レディングの特集、1月に来日したチャカ・カーンのインタビュー、星の数ほどあるソウルの名曲の中から、スロー・バラードとアップ&ミディアムのそれぞれベスト50セレクションなどで構成されている。
 「サム・クック〜その生涯と作品」のサブ・タイトルによる巻頭特集は全49ページ。何と言っても鈴木啓志さんによる「今こそ聴かれるべきサム・クック」という記事が読み応え有り。サムの経歴を辿りながら展開されるサム・クック論なのだが、正鵠を射た内容はまさに目から鱗だった。
 ゴスペル・グループのリード・シンガーとしてプロ・デビューを果たした後、サムが世俗歌手として独立したのが1957年。不幸な死を遂げるのが64年12月なので、ポップ・スターとしてのサムのキャリアはこの7年余りしかない。今でこそ「ソウル・ミュージック」と言えば確固たるカテゴリーが出来上がっているが、サムの活動期間に於いてはジャズやブルーズやゴスペルの要素を残した未分化な音楽だった。結果的にサムの音楽は「ソウル・ミュージック」の土台を形成するものだったという歴史的事実を踏まえつつ、単に「パイオニア」として祭り上げるだけでは見落としてしまうサムの音楽の全体像を改めて検証する必要性を説いている。
 サムの死後20年以上経って突如リリースされた『ライヴ・アット・ザ・ハーレム・スクエア・クラブ1963』は非常に人気の高いライヴ盤だ。ここで聴けるサムの飛び散る汗まで見えるような熱唱、血が煮えたぎるようなシャウト、そして詰め掛けた黒人客の熱狂ぶりはいつ聴いても興奮させられる。存命中に発売されたオリジナル・アルバムでは白人マーケットを意識したぬるいポピュラー・ソング集のような作品が多かったサムだが、これを聴いた多くのファンは「これこそがサムの真の姿だ!」と溜飲を下げたものだ。実は私もその口。それまで「ユー・センド・ミー」などいくつかのヒット曲はラジオなどで聴いて知っていたが、『ハーレム・スクエア・クラブ』によって改めてサムの凄さに打ちのめされた。
 それは当時毎週聴いていた山下達郎のラジオ番組「サウンド・ストリート」で、2週に亘って全曲を放送する異例のプログラムを組んだことと、「こんなに内容の優れた、録音も良いライヴがどうして今まで出なかったのか」と山下達郎氏をして語らしめたことも影響しているかもしれない。このアルバムが出た時、私は3ヶ月に1枚ぐらいしかレコードを買えない高校生だったが、『ハーレム・スクエア・クラブ』は割とすぐ購入した記憶がある。
 だがしかし、今回鈴木啓志さんのサム・クック論を読んではたと気付かされた。『ハーレム・スクエア・クラブ』は確かに歴史的な名盤だ。ただそれはソウル・ミュージックがジャンルとして確立されていた85年に発売されたからこその評価ではないのか。オーティスもアレサもJBも経験した耳には、このブラックネス丸出しのサムの歌声は砂漠に水を流すように吸収されていく。
 このライヴが収録されたのは63年。当時ライヴ盤で発売することを前提で録音しながら、リリースを見送ったのはRCAの判断だったらしいが、サムはそれを容認したのだ。その理由を考える時、黒さを強調し過ぎることを良しとせず、かと言って黒人としてのアイデンティティも忘れない、黒人にも白人にも支持される音楽を目指したサムのポテンシャルの高さが見えてくるではないか。「『ハーレム・スクエア・クラブ』最高!」で済ますことはサムの本質とかけ離れているとも言え、改めてサムのオリジナル・アルバムを聴き直してみたいと思った。
 新井崇嗣さんと小川真一さんによるオリジナル・アルバム・ディスコグラフィは、その意味でもサムの理解に役立ちそう。全アルバムについて1ページないし、見開き2ページを割いての詳細な解説で、特に今まで未CD化だった作品は情報が乏しいため重宝する。ただ編集盤、オムニバス盤の類は取り上げられていないのが惜しまれる。


 資料性の高さでは、こちらのお馴染みレコード・コレクターズ誌に軍配が上がる。こちらも全48ページのボリュームでサムを取り上げている。
 カラーで掲載の各種レア盤、メモラビアは眺めているだけでため息が出る。サムの現役当時、日本でもこれほど多くの7インチ盤が発売されていたとは知らなかった。また58年のコパ出演時のサイン入りフライヤーといった重要文化財級のお宝も。これらの写真を提供している秋山弘昭さんは、記憶違いでなければ以前サムのコレクターとしてコレクター紳士録に登場した方ではないかな。
 本文記事は最近『Twistin' the Night Away』の完コピアルバムをリリースしたトータス松本のインタビュー、バイオグラフィー、その生涯に残された音源の解説、サムが設立したSAR/DERBYといったレーベルからリリースされた音源まで網羅して取り上げている。徹底した音源主義、資料性重視の方針は貫かれており、この雑誌の面目躍如と言える内容。最近はロック史の著名作品のデラックス・エディションなどによる再発と連動した特集が多く、今回のサムのように単一アーティスト全史を辿るような特集は久しぶりのような懐かしい気がする。
 もちろん80年代、90年代と比較すると情報量が格段にアップしている分、資料としての精度は高く、チャート・ポジションを記した7インチ・ディスコグラフィや、オリジナル・アルバム未収録音源の解説は一リスナーとしてもとても役に立つ。しかし論考の弱さは否めないのも事実で、特にアルバム解説ではポピュラー寄りの作品を一段低いもの、サムの世を忍ぶ仮の姿と捉えた表現が散見される。まさに『ハーレム・スクエア・クラブ』原理主義的発想であって、私には目新しいものには感じられなかった。
 ということで読み応えを考えると『グルーヴィ・ソウル・ミュージック』に分があるし、史料価値の高さではレココレが優勢と判断できる。私はリファレンスとして両方手元に置いておくことにする。


Mary, Mary Lou

 これは58年に放映されたテレビ番組出演時の映像。ドレス・アップした白人ギャラリーに囲まれてジャンプ・ナンバーを歌うサム。豪奢で清廉な画面に溶け込み、アナウンサーのような明瞭な発音で朗らかに歌う洗練されたサムの姿が映っている。そこから白人文化への対抗意識やおもねりは伝わってこない。正々堂々としたサムのスタイルであり、紛れもない個性である。黒人向けクラブで歌うサムの姿との間に優劣を付けること自体が誤っているのではないかと思えてくる。
 そこは私自身も認識を改めるべき点であり、この機会にサムの残した音楽を再検証してみたいと思う。


Sam Cooke RCA Albums Collection

Sam Cooke RCA Albums Collection

 RCA時代のアルバム8枚をまとめたボックス・セット。昨年ヨーロッパで発売されたもの。来月日本盤CDが出るのはここに入っていた8タイトル、と『The Best of Sam Cooke』の9枚。日本盤は紙ジャケ+Blu-specCD仕様でバラ売りされる。
 紙ジャケ云々に魅力を感じないユーザーとしてはこのボックスで充分。アルバム1枚あたりの単価は圧倒的に安いし。しかしこのボックスは昨年暮れには売り切れており、今はマーケット・プレイスだけの在庫になっている。ただ2/25現在、AmazonUKでは在庫が復活しているので、日本のアマゾンも再入荷するかも。


8 CLASSIC ALBUMS PLUS

8 CLASSIC ALBUMS PLUS

 『グルーヴィ・ソウル・ミュージック』もレココレ誌も、この4枚組について全く触れていないのは権利関係が怪しいからか?昨年アメリカで発売されたセットで、4枚のCDにアルバム8枚+シングル曲を詰め込んでいる。収録作品はKEEN時代の『Songs by Sam Cooke』、『Encore』、『Tribute to the Lady』、『Hit Kit』、『I Thank God』、RCA時代の『Cooke's Tour』、『Hits of the 50's』、『Swing Low』で、RCAの3枚は上記RCAボックスと重複する。
 権利関係を疑ったのは、オリジナル・マスターからのCDではなくレコードからの盤起こしだから。そのためよく聴くとチリチリというレコードのスクラッチ・ノイズが入っている。ただ録音された時期を考えればそれほど悪い音質ではなく、私は今回の特集雑誌を読みながら、ずっとこの4枚組を聴いていた。このボリュームで1000円以下の価格は破格。